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<ハンセン病医療過誤訴訟>国の責任認定 東京地裁 - z

2005/02/11 (Fri) 23:48:58

<ハンセン病医療過誤訴訟>国の責任認定 東京地裁

 国立ハンセン病療養所「多磨全生園」(東京都東村山市)で適切な医療を受けられず重い後遺障害が残ったとして、元入所者の山下ミサ子さん(66)=仮名で提訴=が国に損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁は31日、請求通り5000万円を支払うよう命じた。佐藤陽一裁判長は「長期にわたり合理性のない診療による過失が続いていた。損害は請求額を超え、約7647万円に及ぶと認定できる」と述べたうえ、国のハンセン病対策に構造的な問題があると指摘した。ハンセン病療養所での医療過誤を認めた判決は初めて。
 判決などによると、都内在住の山下さんは16歳でハンセン病と診断され鹿児島県内の国立療養所に入所し、静岡県内の私立療養所に転院。徐々に症状が軽くなり、外来治療になった。しかし、多磨全生園に通院していた81年から、手の指が曲がったり、毛髪が抜けるなど症状が次第に悪化し、同園に再入所。同園内で担当医が代わった92年以降に改善し、5年後に退所したものの、顔や両手足に重い障害が残った。
 81~92年の最初の担当医の医療について、判決は「81年に原告に現れた症状はハンセン病の再発と認められるのに、担当医は正しく診断しなかった。適切な診療がされれば病状を進行させることなく、後遺障害をまったく生じさせずに治癒に至ったと認められる」と指摘。さらに「87年にようやく再発と診断したが、WHO(世界保健機関)により勧告されている複数の薬剤の併用治療を行うべきだったのに投与せず、治療の放棄に等しい。一方で(不適切な)別の薬を継続的に投与し、むしろ病の進行を促進する行為だったと言わざるを得ない」と指弾した。
 また、国内のハンセン病医療全体について、「らい予防法(96年廃止)で国立療養所に診療活動をほぼ独占させたことにより、外部批判や新しい情報を積極的に取り入れる機会の乏しい閉鎖的環境にとどまらせ、停滞させてしまったという構造的問題があった」と厳しく批判した。【坂本高志】
 ▼厚生労働省の話 詳しい判決内容を確認していないので具体的なコメントは差し控えたいが、今後の対応は判決内容を十分検討し、関係省庁とも協議した上で決定したい。
 ◇傍聴席から大きな拍手
 その瞬間、傍聴席から大きな拍手が起き、原告の山下ミサ子さん(66)はそっと涙をぬぐった。隔離政策で声を上げられなかった元患者が国の医療ミスを問うた初の訴訟。31日、東京地裁は原告側全面勝訴を言い渡した。「10年間にわたる医師のミスを認めてもらい、感謝してます。(ハンセン病元患者の)みんなが安心できる医療になることを祈るだけです」。小さな声で山下さんは語った。
 山下さんは、問題の担当医による診療後、症状が悪化して顔から表情を失った。92年に再会した若いころの友人たちは、だれも山下さんと分からなかった。手足も曲がり、「二度と園外に出ない、人にも会わない」と絶望した。
 希望を取り戻したのは、原告として参加した国家賠償訴訟の勝訴。「劣悪な診療の責任を取らせたい」と今度は一人で提訴した。それでも実名を出せず、「山下ミサ子」の仮名を原告名とした。今も差別や偏見を恐れ、外出にはサングラスがかかせない。体調をこじらせても多磨全生園しか行く場はない。「一般病院で元患者を名乗るのが怖いし、ハンセン病の後遺障害を理解してくれない」と話す。国賠訴訟弁護団の八尋光秀弁護士は「長い隔離政策が患者から療養所以外で医療を受ける選択肢を奪った」と指摘する。
 「全国ハンセン病療養所入所者協議会」の神美知宏・事務局長は「問題の根っこには、社会水準から遅れた療養所の医療体制がある。厚生労働省は今回の判決を一医師の問題とせず、医療の整備・充実を進めるべきだ」と語った。【坂本高志】
(毎日新聞) - 1月31日13時6分更新

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